☆材木座と由比ガ浜その2☆

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 やはり今回も道路から(笑)
若宮大路は頼朝創建の頃から都市計画の中心に据えられていたようです。
それに併走する滑川もその当時は今よりも水量が抱負で、舟が奥地まで交通の手段として使われていたようです。

 当時、鎌倉幕府の中心地から舟で滑川をくだり河口から若宮大路を北に見上げると、鶴ヶ丘八幡宮が見えて、その後の航海の安全を祈願出来ただろうと、鎌倉の歴史に詳しい専門家は考えています。

 さて、それほどに計画性を持って作られた若宮大路と(他の大路や小路も含めてですが)鶴ヶ丘八幡宮は参道のような意味を持つのでしょう。
海岸側から一の鳥居、二の鳥居、とくぐってゆく。
ここに若宮大路は生活のための道路だけではなく、参拝客用の参道という意味を持ちます。

 そして、もうひとつの道が下馬の交差点から長谷へと続く道「県道鎌倉葉山線」です。
ここは通称「由比ガ浜大通り」と呼ばれています。
この通りは横須賀線開通より発展し、鎌倉中心部から長谷「観音」「大仏」へ詣でる参道のような意味を持ちます。
この界隈は昭和初期には川端康成などのいわゆる鎌倉文士が多く住まいを移してきています。

 私が所属している由比ガ浜商店街の先輩に聞いたところ、鎌倉中心部から長谷方面に往来する観光客の数は非常に多く、当時、日本でも指折りの人出があったそうです。
今でも、ゴールデンウィークや秋の3連休などにはこの由比ガ浜大通りを歩いてる観光客の数はすごく、2階の治療院から眺めていると、いつ人の列が途切れるのだろう?、と思うぐらいです。

 さて、ここから前回書いた材木座との違いが見えるような気がします。
由比ガ浜は昔から地元の生活者以外にも観光客を対象にして商いが出来た。
その時代、時代に合わせて。
この商店街の最古参の島屋さんにお聞きしたところ、戦後は進駐軍相手にした商売もあったそうです。
なので、今では80歳ぐらいになる商店主の方が英語を達者に使えたりするそうです。

 ここから、由比ガ浜に住む人の気質が少し想像できます。
地元の人だけを相手にしているわけではなく、初対面お人との交流も多い、しかも遠方から来た人の情報も手に入る。―→気さくで、新しい物好き、珍しいものにわっと飛びつくが醒めるのも早い・・・あたりでしょうか。

 さて、郵便ポストを巡る散歩で材木座では保養所跡やお寺の前、交差点等の往来のあるところにありました。
それに対して由比ガ浜は3つとも「○○屋」さんの前、と言うようにお店の軒先の前にありました。
ポストの設置にはお店の了承が必要でしょうから、ここから想像するに、由比ガ浜のポストの投函は観光客も多かったんではないでしょうか?

長谷の観音さんを見てきた帰りに、田舎の両親に絵葉書を書いて投函する。そのお店の先にちょっとした飲み物が売っている。
「じゃ、ラムネでも買って飲もうか」
と、子供たちに問いかける。
そんな感じの家族連れの観光客も多くいたような気がします。
ポストからよくもここまで話を広げたものだ、と我ながらつくずく思うのです。

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