☆禁煙の話3―私はこれで止めました☆

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 生まれて初めて禁煙を決意して「これで最後だ」と最後の一本を灰皿にこすりつけた後の禁煙は思ったより簡単でした。
まるでTVの刑事ものドラマの麻薬の禁断症状のような状態が襲ってくるのかと内心恐怖に思っていたのですが・・・

 まず、一番困ったのは手持ち無沙汰な時間が出来たこと。それはガムでごまかしました。
1ヵ月ほどの間はタバコの自販機に必ず目に行き、困ったものでしたが3週間を超えた頃には止められるという確信があったため、ついぞ誘惑に負ける事はありませんでした。

 そこで、禁煙しようと思ったキッカケです。
振りかえれば3つほどの条件が期間的に上手く重なって禁煙しようという方へ気持ちが向いたのが幸いしたのだと思います。

 その1番目は・・・貧乏!
それまでサラリーマンとしての稼ぎは外資系金融に勤めていただけあってそこそこ良いものでした。
そこから一転貧乏な学生生活が始まったわけです。100円を削る生活をしなければいけない。タバコは大変費用のかかる嗜好品という見方になったのです。

 2番目にはお世話になった恩師の先生、治療して頂いた先生方からのアドバイスです。
「治療家たるもの、患者さんに健康になって頂くために色々なアドバイスをしなければならないのに治療家自身がタバコを吸うとは何事か」
というアドバイスをその時期に頂いたのも大きな要因です。

 3番目には日本の医大での解剖実習で献体の肺を手にした事です。
肺は実際手にしてみると、細かなそば殻の枕のような感触があります。何十年と生きた人体の臓器でキレイな物と汚い物がある。それを手にする。これも深い感慨を持ってしまいます。

 以上のような条件が重なってなんとなく禁煙しようかな~と思って、書店で手にした本が「禁煙セラピー」という本でした。
それなりに説得力のある本だったと思います。
ただ、私の場合(3番目の条件は特殊にしても)止めようという方向で気持ちが向いている時にこの本を読んで最後の1歩を踏み出せたのだと思います。

 タバコを吸っていた頃の自分のモラルを振り返れば恥ずかしい限りです。
食事の場で一服し、街では歩きタバコをし、吸殻を罪悪感無くポイ捨てしていました。(今では昼食後の爪楊枝でさえ捨てる事は出来なくてごみ箱をずっと探すのですが)

 こういった話を身近な人にすると意思が強いんだ、と言われますが、とんでもありません。自分はとても意思の弱い人間だと思ってます。そんな私でも禁煙できたのですから、誰でもできると思うのです。
自分なりの禁煙しようという動機を見つけることが一番大切でしょう。
そして、禁煙をするといつもタバコに支配をされていない自分を再発見するのです。いいものですよ、本当に!

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