☆ブレない理由その2☆

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前回我が家は買いだめをしない。
いつも通りの生活を少しも変えない。
その理由は鎌倉という街の情報をかなり詳しく知っているから、ということでした。

そして、2番目の理由は骨の髄まで浸み込んだ習慣です。
買いだめをしないというより、出来ない習慣です。

その大きな理由が冷蔵庫。
2009年夏まで我が家の冷蔵庫は容量が100リットルほどの2ドア物でした。
これは私が1990年に一人暮らしをした時に買ったもので、単身者向けの冷蔵庫です。
上が冷凍庫で霜取り機能がないので、すぐに5センチほどに霜が成長(?)し、年に3~4回はナイフとかなづちで大工仕事のように霜を削り落とさなければいけない代物でした。

結婚した時(1995年)買い換えればよかったのでしょうが、
まっ、動くからいいや!
という妻の一言でその後も2009年まで使うことに。
冷蔵庫の容量が単身者分な訳ですから、結婚後もその日必要な分だけ買わないと冷蔵庫に収まりきらない。
この生活が14年続いた訳ですから、必要なものだけしか買わない、というのが習慣となってしまうわけです。
で、2009年に容量がアップした3ドア冷蔵庫に買い換えた時に撮った画像がこれ。

 
reizouko.jpg

 

内容物は2ドアに入っていたものを移し変えた時のものです。
容量が増えたから買う量が増えたかというと、骨の髄まで浸み込んだ習慣からなかなか抜け出せず、結局いつもこの画像程度に加えてその日買った食材を入れておく、という感じです。
ちなみに地震当時も冷蔵庫の中はこの程度で、以降も買いだめということを一切していないのです。
(ストックを常に持っていないと不安という性格の人には卒倒しそうな内容でしょうが・・・)

さて、3番目の理由は☆引越しバタバタ顚末記その1☆でも触れた事なのですが、1995年の1月1日付けで大阪から東京へ転勤し、ホテル暮らしをしていた1月17日に「阪神淡路大震災」が起こりました。
私はその震災があった週の週末に大阪の自宅へと帰り、その後引き継ぎ業務で、会社の後任とあちこち回ったのです。

その折いつも気にかけていたのが、阪急神戸線沿線の街の様子。
私が生まれ、少年期まで過ごしたのが宝塚や武庫之荘という街だったからです。
その後、何度か引継ぎや引越しをかねて、大阪に帰っていたのですが、帰るたびに神戸の町の復旧が進んでる。

会社の先輩も、
「日本人っていうのはすごいな!」
と驚嘆していたのが強く印象に残っているのです。
だから、多少物が無くなっても大丈夫だろう、と楽観視できたのかもしれません。

そして、4番目の理由が1番大きいのかもしれません。
地震後10日ほどはスーパーの入り口から入場規制された人たちの長い行列が出来ている。
それを見た瞬間に、

うへ、あんな行列に並んでまで卵1パック買えるか!

と思ってしまう。
要するに私が行列に並ぶのが大嫌いな・・・いらちな大阪人だからなのでしょう。

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