コラム患者さんとの話です。

コラム患者さんとの話


アロハカイロでは新規の方はほとんどがお電話での予約連絡頂いています。
その折、お名前、連絡先とカイロのコース希望であれば手短に症状を聞くようにしています。
ある男性から連絡が入った時のことです。
症状を聞くと、「姿勢が悪いことが気になって・・」ということでした。


そして予約の当日ドアを開けて入ってこられたのは、背中が90度近くまで曲がったかなり年配の男性でした。
軽いめまいを感じつつ、カルテに記入して頂きながら-どうしよう?!-とあせっていたところ、その男性は
「症状として当てはまる項目は無くてね~いたって健康なんで。ただ、姿勢が良くなればと思ってね~フォッ、フォッ、フォッ」
ここでなぜ私が当惑したかというと、『アロハカイロの流れ』をご覧になって頂けたらわかると思うのですが、
うつ伏せの時間がかなりあり、背中が90度に曲がっているので大丈夫かな?という不安があったからです。
少し専門的に表現すると、亀背変形と言います。


なんとか何枚も布を巻いた状態にして胸のクッションにして、うつ伏せが可能になりカイロを始めることが出来ました。
ストレッチを多用し幾分姿勢の改善が出来たので一安心です。
カイロが終わり、施術前の姿勢の写真と施術後の姿勢の写真を比較しながら説明している折に、ふと年齢の話になり、
何歳か聞くと、なんと90歳!!!
70歳後半ぐらいかと思っていただけに、椅子から転げ落ちそうになった後、思わず合掌してしまいました。
聞けば今でもダンスと手品の趣味があるとか。
しかも、お気に入りの歌手がKinki-kid'sの堂本光一だそうで・・・
もしかしたら、こう言われるんじゃないかと思ったりもします。
「いや~ここを知ったのも、インターネットで知りましてね。フォッ、フォッ、フォッ」
いつまでも気が若いのが長寿の秘訣のようです。[裕]



11月1日のリニューアルオープンからもうすぐ半年となります。
そこで、11/1以降ご来院頂いた方々の構成比を調べてみることにしました。
男女比は80%が女性
年齢比は10歳代2%、20歳代23%、30歳代38%、40歳代11%、50歳代15%、60歳以上11%
鎌倉市内在住の方が74%
という結果でした。


今このデータをご覧になっている方はどう思われるでしょうか?
年齢層については年配の方がほとんどだと思っている方も多いのではないでしょうか?
意外と20~30歳代の女性が多いのです。
私が臨床でみていても、自分の身体に対するケアの意識は断然女性のほうが高いようです。
(カイロプラクティック編『具体例』も更新しましたので、そちらもあわせてご覧ください。)
このデータをとっている際に、アロハカイロ&フットパラダイスの様々なギネスを調べることが出来ました。
差し支えない範囲でご紹介すると、
最高齢は前回掲載の90歳。
もっとも遠方からのご来院は名古屋市名東区か愛知県の日進市のどちらか。(すいません、名古屋近辺の地理に詳しくないもので・・・)
鎌倉でやりだしてから、年間で最多の来院回数の人は40回。(盆と正月を除いてほぼ毎週です。しかも、西東京市から!)
腕の立つ評判の治療院では北は北海道から南は九州まで、というすごいところもあります。
評判はまだまだですが、地元重視でこれからも頑張っていこうと思っています。[裕]



今回はある患者さんから頂いたうれしい言葉についてです。
その患者さんは昨年8月にギックリ腰の状態でお越し頂いたのですが、2~3回の施術でかなり症状が緩和して以降、月に1回のペースでご来院頂いてます。
お仕事はあるプロジェクトの期間中は身体をかなり酷使し、そのプロジェクトが終わればデスクワークの期間が交互に来るという内容だそうです。
プロジェクトの期間中によく腰痛が出るとの事で、症状がひどくなる前に予防的な意味合いで定期的に通って頂いていました。


ある日のこと、その患者さんからまだ2週間しか経っていないのに予約の電話が入ったことがありました。
前回からの期間が短いことからスタッフ2人で、どうしたんだろう急にまた腰痛が出たのかな~と心配していたところへその患者さんがにこやかにご来院です。
私「どうしたんですか?今回まだ2週間しか経ってませんけど、体調が悪くなりましたか?」
患者さん「いや、全然。体調は悪くは無いんですけど、やっとプロジェクトが今日終わりましてね。とりあえずアロハに行かなきゃ、と思って・・・」
この言葉を聞いたときはとてもうれしかったです。
アロハと言えばアロハシャツでもなく、ハワイの挨拶でもなく、アロハカイロを指している表現。
その前に『とりあえず』という副詞。
【取り敢えず】といえば、1.とるべきものもとらずに。すぐに。2.まず。一応。
私は自分の一生を振り返り【取り敢えず】という言葉の次には『ビール』しか言ったことが無かったので、これはうれしかったです。


最近少しずつですが街を歩けば、「あ、アロハの先生!」等と声もかけて頂ける様になってきました。
学生の頃はただひたすら治療の本を読み、技術の練習を研鑽すればいいんだ、などと思いがちだったのですが、患者さんからこういった言葉を頂くことで、やりがいも感じ、それが自分の成長にもつながる・・などと思っている今日この頃です。[裕]



このサイトのコラムでは極力心掛けている事があります。
それはカラ元気であってもいいから前向きな話題を取り上げることです。
そこで今回は2カ月前にある方から聞いたちょっと元気の出る話を。


その方とは何度もお会いしたことがあったのですが、どういう仕事をされているのかは知りませんでした。
ふとしたきっかけで仕事の内容を聞き、証券会社にお勤めだということが分かったのです。
その方は普段物静かで控えめで誠実を絵に描いたような人なのですが、その方が
「高橋さん、これから景気は良くなりますよ!」
と穏やかに、しかし自信たっぷりに微笑むのです。
話を聞くとその方のいる部署は営業の人や窓口の人に対して、市場の動向を分析し、有益な情報を提供するのだそうです。
当時の日経平均株価は9千円台半ばで1万円突破に対しては意見の分かれるところで、消極的な予測が多かったように思います。


彼の話によると、株価の上昇気流にもいくつかの種類があって、今回の上げの力は底堅いものがあるそうです。
その時の底堅さを当時の阪神タイガースの勢いに例えられて、ミョーに納得してしまったんですが・・・
そして、9月末までは年金基金の売り圧力が強いもののそれを越えるとさらに上昇の基調になるだろう、との予測でした。
その通りになると、一般消費者が好況感を実感できるようになるのはこの冬だろうとのこと。
(だから、株を買いませんかと薦められたわけではありません。念のため)


2ヵ月たった現在、1万円台を突破してさらに上昇機運が高まっているように思えます。
同じ商店会仲間内でも「厳しい」という言葉が馴れっこになった感があります。
そこで、敢てカラ元気と言われてもこの冬には景気回復の実感が持てるんではないかと、私もその予測に乗りたいと思います。(タイガースも優勝することですし・・・)[裕]



これは以前このコラムにご登場頂いた方(☆チンツウザイガテバナセナイその2☆)から聞いた話です。
ある地方都市の観光名所に向かう通りの飲食店の味の比較の話。
名所にほど近いひっきりなしに人が通る店では値段が高いものの味はイマイチで、そこよりも遠いところで人通りの少ないところのほうが安いのに美味しかったそうです。
殿様商売ではなく、常に企業努力をしなければ生き残れない環境は店なり会社なりを鍛えますな、とのこと。
非常に示唆に富むセリフです。
どこからとも無くお客様が来てくれて、昨日も今日も明日も何の不安感も無く稼げていける。
最初に起業したときの情熱や最初にお客様から頂いた売上の感動。そういたものが徐々に薄れ、慢心し、自分達が気づかない内に味やサービスが落ちてゆく・・・


彼によるとそれに引き換え、ここ由比ガ浜大通りの商店街にはこだわりを持ったお店が多いそうです。
『かまくら ふじい』『PaPa Noёl』やわらび餅のお店、蒲鉾店等など。
(確かに人通りはそんなに多くなく、地元の人を対象にして頑張っているお店が多いのです)
そこで彼は自分としてはこの由比ガ浜大通りを由比ガ浜こだわりストリートと呼んでいるのだそうです。
えっ?アロハカイロ&フットパラダイスはどうなんだ?ですか。
殿様商売なんてとてもとても。多くの方に由比ガ浜こだわりストリートの一員としてふさわしいね、と言われるようにチャレンジャーの日々が当分続きそうです。[裕]



 アロハカイロ&フットパラダイスではカイロをお受け頂いた方と靴をオーダー頂いた方に実験的な試みとして感想ハガキをお渡ししています。
記述欄はハガキ面の70%の面積でを自由記述形式で書いて頂くものです。
アンケートのように該当する欄にチェックをするような形式ではありません。
したがって色んなご感想が寄せられていて、大変参考になるのです。
例えばこういうご意見を頂いた事があります。
「店頭の看板に雑誌の切抜きがありましたが、女性しか載っておらず、女性がやってくれるところと思って入ったのに、カイロは男性だったのでちょっと驚きました・・・」
なるほど!と思い、早速2人で記念撮影をし、その写真に担当を書き込みパウチして看板に張ることにしました。
意外と自分たちでは気づけない事に感想ハガキでご意見を寄せていただいて参考にさせて頂いています。
カイロでお渡ししたハガキの枚数は55枚。
そのうち16枚が何らかのご意見を書いて返して頂いているので、かなり高い率でご返答頂けていると思っています。


 そのハガキの中で最近大変印象に残った1枚があります。
その方は主訴は肩こりでご来院頂いたのですが、カルテ記載時の姿勢が大変良く、その時点での私の印象は
『歪みは少なく症状は軽いかもナ~』というものでした。
しかし、可動検査を進めるとおや?という所があり、それがうつ伏せでの触診では見た目より重症だという確信に変わるのです。
その方は胸郭の一部に全く可動性がない状態で、私が思わず言ってしまったセリフが
「これは今まで辛かったでしょう!」
後日、ご返送頂いたハガキではその一言が何より嬉しかった、との感想を頂きました。
振り返れば、私が事故で色んな治療院に行っていたときもそういった言葉は大変嬉しかった記憶があります。
-初心忘るべからず-大切な気持ちを思い出させられます。[裕]



 最近記憶力が日に日に悪くなっていくような気がします。(飲みすぎかな?)
いい話を読んだので出典が何だったのか思い出そうとしているのですが、雑誌だったのか、本なのか、新聞か思い出せず・・・
その話のあらすじはこうでした。


 ある50代の男性の話です。その人は会社への通勤は自宅からバスを使い電車で長時間かかるという生活を長らく続けていました。ところが、何かのきっかけでバス通勤を止め、駅まで徒歩で通うようになります。それから、初めて今まで目にも留めていなかった地元地域の人々が見えてきます。
通学途上の小学生と知り合いになったり、決まった時間に通り過ぎる交番の警官と挨拶をするようになったりと。
そういう生活が何年か過ぎ、その男性が定年退職の日が近づいてきたある日、その男性は毎日同じ時間に通り過ぎていたのに、急にそれがなくなれば交番の警官が自分のことを心配しないかなと、思ったそうです。
そして、意を決し警官に
「自分は○月○日付けで定年退職するのでもうこちらを通ることも少なくなりますが、毎朝、挨拶をして頂きありがとうございました。」
と、挨拶をしたのです。
やがて、定年退職日に挨拶をして交番を通り過ぎようとした時に、その警官から呼び止められてねぎらいの言葉とともにささやかなプレゼントをもらったそうです。


 この話を読んだとき、いい話だな~としきりに感心したと同時に今までの自分はどうだったかな、と振り返りもしたのです。
例えば、以前会社勤めをしていた時大阪から東京に転勤の際はどうだったかな、と思うのです。
辞令から転勤日まで約2週間。
引継ぎと取引先への挨拶で精一杯。でも、よく行ってた定食屋のオバさんやクリーニング店のオジさんに挨拶は出来たな~等など。
そんなことを考えていた何週間か後、ここアロハカイロ&フットパラダイスにある70代の女性の患者さんから電話がありました。(その方は夏から2,3週間に1回のペースでご来院頂いていたのですが、ここ2ヵ月半ご来院されていませんでした)
聞けば12月に圧迫骨折をして入院していたとのこと。やっとコルセット装着状態で自宅療養していた時、ポストにアロハカイロ&フットパラダイスのチラシが入っていて連絡しなくちゃと思いお電話を頂いたのです。
「今は痛くてあまり動けないけど、しばらくしたらまた行きますのでよろしくお願いしますね」


 定期的にお越し頂いている方で高齢の方が突然来られなくなると、少し心配になります。
飽きてお越し頂けないなら全然いいのですが、体調を崩されたりしたのではと思ったりすることもあるのです。そういった中で回復の途中で元気な声でお電話を頂けた事は私の中では先程の話に匹敵するような、いやそれ以上に嬉しい出来事でした。電話では時間にしてほんの1,2分のことですが、何ヶ月も何年も嬉しいそしてありがたい記憶として残ることと思います。
こういう嬉しい言葉を患者さんから頂くと、ここ鎌倉で地域密着型でやっていて良かったな、としみじみ思えるのです。[裕]



 今年のプロ野球日本シリーズは盛り上がりましたね。
周囲の話を聞くと、日ハム応援の人が多かったようです。
今回の話題の中心はなんと言っても、SINJYO選手です。
我が家も今回の日本シリーズでは日ハムを応援していたのですが、SINJYO選手の強運には本当に驚かされました。
振り返れば、阪神タイガース時代、引退宣言→モデル転向→引退宣言を撤回。オープン戦ピッチャーデビュー、メジャーリーグ挑戦(当時はかなり疑問符がつく挑戦と言われていたと思います)等など。
話題に事欠かなく、しかも言動が常人離れしている。(母親から宇宙人呼ばわりされていましたし)
そのSINJYO選手がパ・リーグ戦最初から引退を表明し、日本シリーズを征し胴上げされる。
これほど強運のプロ野球選手は存在しなかったと思います。


 さて、こんな話題でここアロハカイロ&フットパラダイスで何人かの方と話が盛り上がっていた折、
一人の方がボソリと一言。
「彼はいつも笑顔だからね~」


【笑う門には福来る】-家族の仲がよくいつもにこやかな家庭には、自然に幸運がめぐってくる。


 誰でも知ってる、あったりまえの格言ですが、彼を見ているとやはりこれは真理かもしれないと感じさせられます。
ひるがえって、自分を思い返せば、今年は厄年。
年初から障害物レースのようにツライ出来事が頻発しました。
自然と無表情な顔が多かったような気がします。
今年も残り2ヶ月。努めて笑顔でいれるようガンバロー![裕]



 アロハカイロ&フットパラダイスがここ鎌倉の六地蔵でオープンして早や6年半が経ちました。
地元密着でやっていると、様々な人間模様が見られます。
今回は今から5年前にあったある出来事のご紹介です。
(このコラム内でのお名前は仮名を使っています)


 ちょうど5年前の2004年のゴールデンウィークに同じ商店街のお店の女性から電話で連絡がありました。
「真奈美です。私の職場の後輩がギックリ腰になったみたいで、診てもらっていい?」
その日の夕方に戸田さなえさんが来院されました。
症状は前屈30度で痛みの出る軽いギックリ腰。
大腰筋と腰椎4番に対する軽めの刺激でものの15分ほどで両手をべったりと床に着けられる位に腰痛が改善したのです。
(この時は我ながら上手くいったな~と驚いたぐらいなのですが)


 そして5日後に、その話を聞いてこられたのが実のお母さんの近藤明美さん。
彼女が今回のコラムの主役となります。
彼女の症状は慢性的な腰痛。
これは通常通りの施術をその後1ヵ月に1度のペースで続けてゆきました。


 そして4ヵ月後の2004年9月。
月初に越智昭子さんが近藤明美さんのご紹介で来院されます。
症状は全身倦怠感。
このときの施術もたまたま上手くいったのか、いたく気に入ってもらえたようで、すぐにお2人のご友人をご紹介下さいました。


 お1人目は翌日に来られた藤田友和さん。
この方も戸田さなえさんと同じく、前屈30度で痛みの出るギックリ腰。
施術後は前屈でずいぶん痛みが軽減したようです。


 お2人目は2週間後にご来院の安藤友子さん。
症状はいわゆる五十肩です。


 その後、2ヵ月後の2004年11月に藤田友和さんのご紹介で義理の息子さんの山川昭信さんがご来院されます。
この方の症状は学生時代に頚椎を剥離骨折して、それ以来疲労がたまると首がどうしようもなく痛くなるとのこと。
この方に対する施術もどうやら上手くいったみたいで大変喜んでいただけたようです。


ここまで、おかげ様で真奈美さん→戸田さなえさん→近藤明美さん→越智昭子さん→藤田友和さん→山川昭信さん→安藤友子さん
と、次々と紹介の輪が広がっていたのです。
しかも、最初の真奈美さん以外全員小坪在住の方なのです。
(小坪とは逗子市の1地名なのですが、鎌倉との市の境にある町のことで、逗子マリーナもここにあるのです)


 オープンしてやっと2年。鎌倉以外のところでも紹介の輪が広がるようになってきたな~ありがたいな~などと思っていた矢先の2005年年明けに非常に疲れた顔で近藤明美さんが来院されました。
話を聞けば、越智昭子さんが12月に急逝されたとのこと。
こちらにお越しいただいていた方の訃報に接する初めてであったため私も大変驚いたのです。(つづく)[裕]



 昨年12月に急逝された越智昭子さんと近藤明美さんは年齢も近く、近所にお住まいで昔から姉妹のように育ったそうです。
実際、私がご来院頂いたお二方を見たときも非常に雰囲気が似てるな、と思ったほどです。
さて、近藤明美さんからお話を伺った状況は以下のようでした。


 その当日、午後に近藤明美さんの所へ越智昭子さんから電話があった。
電話の内容では急に体調が悪くなった。
近藤明美さんは急いで駆けつけたが家中鍵がかかっていて中に入れなかった。
急ぎ救急車を呼び、救急隊と家の中に入ったが容態はかなり悪い状態で病院へ搬送されたが亡くなった・・・


 病院の診断によるとクモ膜下出血だったそうです。
その翌年の2005年 近藤明美さんの体調は徐々に回復に向かい来院の頻度が少なくなってゆきました。
そして、すっかりそんな出来事も忘れかけていた2006年の11月。
いつものように朝9時半ごろに治療院に到着した時、留守番電話のランプが点滅している。
メッセージを再生すると


「2年ほど前に家内がお世話になっていました越智と申します。家内に前から勧められていたために一度診て頂きたいと思いお電話をしました・・・・」


 このメッセージを聞いたとき、私は全身鳥肌が立つほど感動をしたのです。
2年近く前に他界された越智昭子さんのご主人があんなに大変なことがあったにもかかわらず、2年もたった今ここアロハカイロ&フットパラダイスのことを思い出して頂いてご連絡を頂ける。
まるで天国からのご紹介のような出来事が、ごくごく普通の生活をしている平凡な朝に訪れるということ。
この出来事はただただ、私個人が感動してしまう、ということなのですが、もうひとつの出来事があるのです。
それはまた次回に。[裕]


 話は前回、前々回から続きます。
2004年12月に越智昭子さん急逝。
翌年の2005年1月に失意の近藤明美さんからその事を聞かされ私もショックだったのですが、その後彼女は徐々に体調も回復に向かい来院の頻度が少なくなってゆきました。


 その翌年の2006年2月に久しぶりに近藤明美さんが来院されました。
その年の冬はここ鎌倉、小坪にも多くの雪が降り積もり、何日も雪が解けない状態でした。
そんなある日の朝、近藤明美さんはいつものようにゴミ出しをしていたのですが、自宅の手前は急な下り坂。
滑って野球のスライディングをするような体勢で何メートルも落ちてゆき、左肩を強く打撲したそうです。


 左上肢(おおよそ肩~手までのこと)の可動域を検査すると、70度挙上で肘が曲がり、それ以上挙げられない。
結髪動作制限(女性が頭の後ろで髪の毛をポニーテールのように結ぶためにする動作)がある。
いわゆる五十肩の症状です。
このケースでは4ヶ月ほど月に3回のペースでお越し頂き、5ヶ月目にはほぼ問題のない状態まで回復したのです。


 ちょうどその頃の私と近藤明美さんとの会話です。
近藤さん「越智昭子さんが亡くなって1年半、やっと最近私も落ち着いてきたんです。」
私    「そうですか。良かったですね。」
近藤さん「亡くなってからの半年間は毎日のようにお墓に行ってましてね。墓前で泣き崩れていたものなんですが、それが時間が経つうちに、1週間に1度になり、2週間に1度になり・・・時間が経つことでずいぶん気持ちが楽になるものですね。」
私     「それはなによりですね。」
近藤さん「それで先生、今日はこの指輪なんですがね、ハワイ語が書いてありますでしょ。こちらはハワイについてかなりお詳しいので、その意味を教えていただければと思いまして。よろしいかしら?」
私    「もちろんです。私もここ4ヶ月ほど近藤さんがこの指輪をなさっているので気にはなっていたんですよ。」
と伝え、意味を書き写し受付にいるとっても、とってもハワイが大好きな妻に近藤さんがお帰りになるまでに調べておいて、と手渡しました。


近藤さん「この指輪なんですがね、実は越智昭子さんが亡くなる何日か前にハワイに旅行に行ってましてね、私に、と言って買ってきてくれたものなんです。なので、最近はもうこれしか身に着けていないんですよ。」

その指輪はハワイではよくある銀のハワイアンジュエリーで刻まれていた文字は


[KUUIPO]


施術が終わり、今日どこをどういう感じで調整したかを説明していた時に、妻からメモが帰ってきました。その意味は、


[愛しい人よ]


ハワイアンミュージックがBGMに流れる中、近藤さんがひとしきりむせび泣いた後で、


近藤さん「偶然かしら?」


私たち二人は同時に
「いえ、言葉がわからなくとも気持ちがそうだったので、きっとその言葉の指輪を選んだんですよ。」


さて、このコラムの最初の出だしに戻って、アロハカイロ&フットパラダイスがここ鎌倉の六地蔵でオープンして早や6年半が経ちました。
地元密着でやっていると、様々な人間模様が見られます。
まるで、小説の1シーンのようなこんな出来事もあるのです。
なかなかに仕事とはおもしろいものです。[裕]

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